【山行記録】紅葉の黒部峡谷 下の廊下(S50 中西修)

紅葉の黒部峡谷 下の廊下
<OB会長 中西 修(S50年入部)>

 今年(2024年)6月、関西電力の工事専用である黒部峡谷・欅平から黒部ダムまでの延長18キロを結ぶルートが観光用として一般開放される。名称は黒部宇奈月キャニオンルート。ワンゲル時代、同期のN君と北方稜線・赤谷山から劔岳をめざすも、悪天候に阻まれ池平山で断念し、仙人経由で、下の廊下の阿曽原・欅平間を踏破したことはある。ただ、上流の核心部は空白地帯で、黒部の谷が脚光を浴びる前にと計画する。ほぼ50年ぶりの挑戦である。

黒部峡谷 白龍峡

 山行は、仕事の合間を縫って、当社富山テレビのカメラマンと2023年10月17日(火)18日(水)に決定。ルートは、年を考え少しでも楽にと黒部ダムから下ることにする。また、紅葉の撮影取材も兼ね十字峡でテントを張ることにする。ところが、阿曽原小屋に電話で聞くと「国立公園内は幕営禁止」と厳しく指摘され、ならば小屋泊りをお願いするが満室と、つれない返答。さらにダムサイトの「ロッジくろよん」も満室とのこと。平日だというのに「この人気は何だ」と思いながら、好天が予想されることから、阿曽原で幕営という計画で決行する。

 1日目、富山側から入山。前日の冷え込みで立山は冠雪、周辺の山々は紅葉に彩られ、絶好の登山日和。9:30黒部ダム出発。いよいよ下の廊下に足を踏み入れる。出だしは丸山、黒部別山の岩壁に圧倒されながら徐々に狭い谷を縫う。先人たちは「よくまあ、この絶壁に足場を組んだものだ」という感心と、吸い込まれそうになる眼下の激流に足がビビる。「黒部の谷にけがなし」と言われるくらい、下は地獄。年とともにバランスも悪くなり慎重に歩を進める。16:00十字峡到着。ここでタイムアップ、実は予定の行動だ。
 2日目、6:30十字峡出発。黒部の谷のパワーと谷をえぐる電源開発の非情さを感じながら、阿曽原小屋に到着。その時、小屋の番頭から「こんなに早くどこから来た」と叱責を受け、足早に下山し、16:00欅平に到着した。

黒部峡谷 十字峡

 久しぶりに山に入って驚いたのは、アクションカメラを持ったユーチューバーが多いこと。「エッ?こんな所に」と思うほど、若い女性が目についた。下の廊下が開放されるのは、約2か月。計画される方は山小屋への事前予約と入念な準備は怠りなく計画してください。

黒部峡谷 S字峡

<黒部ダムにまつわるトリビア>
 黒部ダムは、1955年に国の認可が下りるが、厚生省(当時)は関西電力に対し、いくつかの条件を出したという。
(1)日電歩道の修理を怠らず通行可能にしておくこと
(2)黒部ダムの観光放流を行うこと
(3)ダムによって水没する平は渡し舟を無料で運行すること など


 70年前の約束が今も守られているとは、不思議な気がしてしまう。        

以上

(2025年1月30日 投稿)